それは本当に想像力の欠如なのか?両親学級の妊婦体験に関する騒動に感じた違和感

それは本当に想像力の欠如なのか?両親学級の妊婦体験に関する騒動に感じた違和感

https://togetter.com/li/1340596

 両親学級の妊婦体験で男性が7キロの重りをつけて「楽勝」と言って腹筋を始めたことに対して、Twitterで物議を醸し出している。

そして反応の大半は男性の想像力の欠如に対する落胆と、体験で伝えたかったのはそういうことではないだろうという指摘で埋まっている。

情報が真実ならば、確かにその男性はいささかデリカシーに欠けることは間違いない。しかしぼくが感じるのはむしろ落胆している側に対する違和感であって、件の男性は大きな問題ではないと感じるのが本音だ。

説教をするつもりはないことを前置きしておくが、ぼくは教師ではないが、かつて教職を目指していたことがあり、とても尊敬している教師から次のように言われたことがある。

「ここに理解力が低い生徒がいたとする。その生徒に対し個別で指導を行なったが、内容を理解してもらうことはできなかった。それは果たして理解できなかった生徒が悪いのだろうか。いいや、きっと違う。もし悪いと感じたのならそれは自分の至らなさを棚に上げて一方的に生徒のせいにする傲慢な人間が悪い。そして、その至らなさを埋め合わせて誠実に導くのが俺たち教師の役目だ」

この言葉には非常に感動を覚えた記憶がある。今回の体験にしたって人間には想像力の限界があるわけで、だから体で経験してもらいおうという背景があったのだろう。しかし、想像に反して残念なことになってしまい、そして周囲が落胆の反応を示している。この状況は言ってしまえば今回の件は思い通りにいかない生徒に対して「なんで言いたいことが伝わらないんだ」と自分の至らなさを棚に上げて逆上する教師のようなもの。準備が足りなかったイベントの主催側の問題でもあるわけだ。

どちらが悪いか論争をするつもりはないのでこの辺で切り上げるとするが、自戒として書いておきたい。相手を上手く制御できないからといって文句を垂れる手合いは本当に疲れる。

せめて自分が上手く相手に意図を伝えられなかったとして、落胆しないように心がけること、そして空回りして相手のせいにする手合いに遭遇したとき、まともに相手にしないようにする、というのが今回の教訓ではなかろうか。