毒親はさっさと死ねば良いと思うよ

毒親はさっさと死ねば良いと思うよ

葦舟ナツの書いた『ひきこもりの弟だった』という小説がある。引きこもりの兄を持つ弟の人間模様を描く作品だ。そこには冷たく暗い兄と母への確執と怒りや憎しみ、時に他者へ死すら願う負の感情がある。一方でふとしたきっかけで築かれた夫婦生活で得られたささやかな幸福。その暖かさと拭い去れない暗さのコントラストが実に鮮やかで目を奪われてしまう。

親の影響とは良くも悪くも偉大なもので、後の生活に多大な影響を与える。ここではっきりさせておきたいのは、自身にとって悪い影響を与える親とはさっさと袂を分かつに限るということだ。かくいうぼくも散々な目にあったし、鬱になって会社を休職したことがあったのだけど、無理解なクソ親によって状態が悪化し復職が難しくなったこともある。「自分だけが、酷い目にあう」という状態は昔から続いていて、泣き寝入りをするしかなかった。積もり積もった怒りは爆発し、ついに家を出る決意を固めた。衝動的に「親 死ね」で検索した人ならともかく、恒常的に「さっさと親死ねよ」と思っている人には刺さる内容なのではないか。

親は自分で選ぶことができない

とても残酷な話ではあるけれど、まずはこの事実を受け入れる必要がある。

運がなかったのだと。自分の置かれた環境を呪うことはいつでもできる。

だけど、それだけで事態は解決する根拠はどこにも無いということを。

行動を起こすために必要なものは「お金」と親を除いた貴方を支えてくれる「人」であるということを忘れてはいけない。

「貴方のために言っている」は親のために言っている

このキーワードを連発する親は危険である。自分の制御下に置きたいだけの超自己中だからだ。

「貴方のために」なんて言葉は親の立場を利用した詭弁に過ぎない。

本音を解釈すると「自分の主義主張ために、貴方を正したい」で、聞いている側からするとバレバレなのだが残念な親は気づいても正当化してしまうので指摘するのは諦めるべきである。

毒親には「自分が正しくて、子どもは間違っている」という性質が共通事項として備わっているのは気のせいだろうか。

「貴方にはできないから」という決めつけを信じるな

親は子どもを見ている期間が他と比べて長いので、子どもの限界も把握しているケースが多い。だけど、いつまでも「貴方はできない」というレッテルを貼り続ける親は子の成長を諦めた怠慢の証左に他ならない。

感情とは言葉と連動する性質は確かにあり、「できない」を連発されると負の感情だけが循環し、本当にできなくなってしまうことがある。

親に限らず、人の成長を見限る人間との距離は置くべきなのだ。

親と関わりを持たない

先にも述べたように、親は自分で選ぶことができない。

そして、親自身が変わることは決して期待してはならない。

離れなければ半世紀近くは付きまとう厄介な存在、それが毒親だ。

貴方の人生をこれ以上滅茶苦茶にされないようにする方法は、親と距離を置くこと。これ以外は無い。

風邪と同じように、感情は伝染する。怒りっぽくなり、悲観的になったりもする。そうならないように、距離を置くこと。

楽しい人とだけ、交友を深めていけば良い。人生はこれからも続いて行って、その色は少しでも明るい色が良いのだから。


ひきこもりの弟だった (メディアワークス文庫)